日本鍼灸を救ったある人物とは?【戦後の危機を乗り越えた真実】

東洋はり灸院 統括院長の石丸です。今回は「GHQから鍼灸を救った人物」と題してお話ししたいと思います。
日本国内で1450年以上にわたり実践されてきた鍼灸は、過去に2度、存続の危機に瀕したことがあります。これらの危機と、2度目の危機から鍼灸を救った人物についてお伝えします。
【動画解説】日本の鍼灸を救った「ある人物」
明治維新
まず、1度目の危機は明治維新です。明治維新により、文化だけでなく医学も西洋化されました。
東洋医学である鍼灸は、西洋式の現代医学が広められたことで絶滅寸前の状態に追い込まれました。このとき、実際に漢方医は絶滅したとも言われていますが、鍼灸師には盲人も多くいたため、国がある程度は守ったという経緯があるそうです。
GHQ
そして、2度目の危機はGHQによる統治時代です。
日本は大東亜戦争に敗れ、6年8か月にわたり連合国に占領されました。この間、GHQはさまざまな占領政策を実施しましたが、その1つとして鍼灸を禁止しようと試みました。
占領下では、鍼灸は欧米人から「野蛮」とみなされていました。
欧米では、歴史的に人の体を燃やす行為は火あぶりの刑と結びつけられてきました。そのため、欧米人にとっては、体を火で焼くお灸に対して強い抵抗感があったようです。
実際に、捕虜収容所で病気の米兵に対して、もぐさの代わりに脱脂綿を使ってお灸をした日本兵が、戦後の東京裁判で拷問を行ったとして有罪判決を受けた事件もあります。日本兵としては、米兵のためにお灸をしてあげただけでしたが、鍼灸を野蛮な行為と考えていた欧米人からは拷問と誤解されてしまったのです。
また、GHQは日本の伝統文化を破壊し、アメリカ追従型の国にすることを目的としていました。そのため、GHQは鍼灸だけでなく柔道整復なども廃止し、日本の医学を西洋医学一辺倒にしようと動いていました。しかし、この時にGHQから鍼灸を救った人物が存在します。
ヘレン・ケラーからの手紙
以前、私はYouTube動画で、「マッカーサーに鍼灸を説明した医師と通訳者が、東洋医学の理解者だったため、好意的に説明したことで鍼灸が残った」とお話ししました。これまで、そのように理解していましたが、実は違ったようです。
実は、とても有名なある人物が、鍼灸について「日本の伝統文化であり、盲人の更生手段としての鍼灸を禁止することは許されない」とマッカーサーに直接手紙を書き、諭したのです。その人物は、鍼灸が日本の伝統文化であることや、盲人の鍼灸師が社会貢献できる大きな手段であることを伝え、欧米人が野蛮だから、理解できないからといって禁止してはいけないと訴えました。
その人物こそが、ヘレン・ケラーです。マッカーサーはヘレン・ケラーを非常に尊敬しており、この手紙が鍼灸の存続に大きく影響したとされています。
私はこの事実をつい最近知ったため、あらためてお伝えしたいと思います。
まとめ
鍼灸は、明治維新によって大きく衰退しました。現在の日本では西洋医学が主流ですが、江戸時代末期は東洋医学が中心でした。明治6年に出された政令により、日本は文化だけでなく医療も一気に西洋化したのです。
その後、明治、大正、昭和と時代が進むにつれて、西洋医学の傾向はさらに強まりました。そして、大東亜戦争後のGHQの占領により、鍼灸は存続の危機に瀕しましたが、その危機を救ったのがヘレン・ケラーです。
私が今、鍼灸を実践できていることや、日本国内に18万人もの鍼灸師が存在していることもヘレン・ケラーのおかげだと感じており、感謝しなければいけないと思います。この機会に、あらためてヘレン・ケラーの伝記等を読んでみようと思っています。